自分らしく生きる

才能だと言われると、努力を見てもらえない気がしてもやもやする

2020年3月16日

「才能あるよね」と言われると、うれしいような気もする反面、「いやいや才能というか、努力してるからだよ」という気持ちが出てきてもやもやしちゃう。

今日はそんな心理について解説します。

周りから才能があると言われるのは、きっと光るものがあるからだと思うのですが、もやもやするのは、才能という一言で全てを片付けられてしまった気がして肝心のプロセスを見てもらえないという悲しみがあるからだったりします。

実際に、それなりの努力をしていて本人なりにいろいろと検証を積み重ねていたりするので、表面的な自分の姿を見ているだけで本当の自分を知らないくせにと、そう感じるのも無理もないかなぁと思いますね。

ただ、そうは言いつつも、そういうタイプの人は泥臭く努力している姿を人に見せることってあまりないのかなと。だから、見せてないものは、人も気づかないよねといえばそうなんですよね。

スマートにやりたい、綺麗に見せたいという心理があるのですが、その裏には、自分は努力しなければうまくいかないという、劣等感や不足感といった感覚を持っていることも少なくありません。

いつの時点でか、自信喪失するような出来事があり、それによって「自分は出来ない」「自分はダメだ」という感覚を味わってきた人が多いです。

だからこそ、そのままだとダメだから努力を積み重ねて補おうとがんばってきたところもあるわけです。(もちろん、そもそもがんばることが苦にならないという面もあるでしょうけどね)

それなのに才能だと片付けられてしまうと、何も知らないくせにと思っちゃったりするわけです。なんともややこしいことですが。

私の先輩は「努力できるのは才能だよ」と言っていましたが、そういう考え方もあるのです。

確かに、喪失体験があっても、そこから腐らずに、もう一度頑張ろうと行動を積み重ねてきたことはすごいことだと思います。

そんな自分を「なんだかんだ、私偉いよね」と思えていけば、才能あるねと言われても、そんなに気にならなくなってくるはずです。「ほんと?ありがとう」と素直に受け取れるようになるのではないでしょうか。

カウンセリングを日々していると私たちは理解者を求めているのだと痛感させられます。自分のことをだれか1人でも理解し受け入れてくれる人がいたら、どんなに安心するでしょうか。「私はここにいてもいいんだ」と思えますよね。

日々を健やかに過ごしていくためには、理解者の存在があることがとても大切なのだなと感じます。自分が大切な人の理解者であることもできるし、誰かが自分の理解者になってくれることもあります。

そして見落としがちなのが、自分が自分の理解者であることです。

今回のようなケースでは自分が、今までの自分を否定せず受け入れ、肯定していくことが最大のポイントかなと思いますね。

あなたはどうでしょう?
自分が自分の理解者になっていますか?

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