期待に応えたいと思うあまり、自分を犠牲にしたり後回しにしてしまう人いますよね。
そういう人は、人の気持ちにとっても敏感。
「こうしたら喜ぶだろう」も「こうしたら機嫌が悪くなるだろう」ということも、どっちもわかる。相手の気持ちに同調しすぎて、のまれてしまうこともあるようです。
不機嫌になられたりガッカリされたりすることはみんな好きじゃないと思うのですが、期待に応えたいあまりに自分を犠牲にしがちな人は、人が不機嫌になることを極端に恐れたり、自分のせいだと思ってしまったりするので余計に怖くなってしまうようです。
そうした感覚の根っこは親子関係にあることが多いのですが…
期待に応えられないと自分に価値がないとか、嫌われちゃうと思っていると、このパターンからなかなか抜けづらくなります。
期待に応えたいと思うことや喜んでもらいたいと思うこと自体はいいことなのですが、自分のできる範囲を超えてしまうと途端に苦行のようになってしまいます。
自分を後回しにして「私はいいから、あなたたちみんなで幸せになってね」みたいな感覚になりがちです。
でもそのやり方は苦しいので長続きしないんですよね。
私も一緒にみんなと幸せになっていくことがとっても大事です。
自分のできる範囲でお役に立ち、無理なことはごめんなさいと言う。それで許し合えるような関係性になるといいですよね。
無理なことを断れる自分になること、無理なことは断っても相手を拒否しているわけではないことを理解すること、
そして断ったからといって嫌われるわけでもないし、自分の価値が目減りするわけでもありません。根本的なところで自分の価値を受け取っていくことがとっても大切かなと思います。
自己犠牲パターンをお持ちの方は、その感覚が根深いことも多いです。よかったら力になりますのでぜひご相談くださいね。