外から見える自分と、ホントの自分はまた別。いま一歩前に出れずに悶々としているときは、地味にシンドイものですよね。
カウンセリングで「実は私…結構、好き嫌いがはっきりしているんですよ」と言う人が多いんです。しかも、なぜか申し訳なさそうに。
いま一歩スッキリしない理由。前に出られない理由。
それは、この、申し訳なさそうに「好き嫌いがはっきりしている」と言ってることが象徴しているように思うんです。
好き嫌いがはっきりしてるのってとてもいいことだと私は思っていまして。それを指針にして進んでいけばいいのですが、なぜか嫌いなものに罪悪感がある人が多いんです。そして、その苦手意識を克服しようと頑張る。
「興味がない、あまり関わりたくない、そう思っていて、全然いいんですよ」と私が言うと、「えーーーー!ダメだと思ってました。それでいいんですか?」と驚かれることが多いです。
でもそう言うときのクライアントさんの表情はどこかホッとしてるんですよね。
例えば、あまり好きじゃない人やグループがあって。
好きじゃないことはあまり認めたくない。なぜなら、罪悪感があるから。
好きになれなくて、申し訳ない。興味持てない私は変なのかなぁ。。そうだ、好きだと思えない不寛容な自分がいけないんだ。
だから、私、人付き合いうまくいってないんだね!(仕事がイマイチうまくいってないんだね!)みたいに誤解する。
「いやいやいや、そうじゃないですよ」と私はそこで突っ込むんですが、その罪悪感は、本当に要るんでしょうか?
罪悪感で自分を縛って自由を奪っているから自分のパワーが出ないのでは?
こういうところで悩む人は、もともととても大きな器があって愛情のある人だと思うんですよね。
でも自分がやらなくてもいいところまでキャパを広げようとしていて、結局自分の力が発揮できずどっちつかずになってしまう。自分が嫌いなもののことで悩んでしまう。
全部拾おうという姿勢を、完璧主義を、疑ってみるといいかもしれません。
もし、自分がいま一歩出れない理由が、嫌いなものを拾って好きなものを追求していないからだとしたら、、、どうでしょうか。