今週土曜にある名古屋フェスタの講演を練っていましたら(遅い?|д゚)
私ってなんでカウンセラーに興味持ったのかなぁって改めて思いまして。
元々心のことに興味はあったんですけど、大学生のときに、うちの会社に資料請求してたんですよ。カウンセラーってどうやってなれるんだろう?って。
なぜ心のことを学ぶだけじゃなくてカウンセラーになろうと思ったのか。出てきた答えはこうでした。
内向的で悩むことが多かった私は、慢性的な窮屈さ、寂しさなどの心の細かいヒダの感覚を、ほとんど誰とも共有できずに来たんですね。
人付き合いも苦手だったし言語化しずらかったのもあって。誰もわからないよねみたいな諦めもあったかもしれません。
だから、ずっとずっとそういう心の話をできる場所を求めていたんです。そして、それを提供できる側になれたら嬉しいなぁって。
人って、やっぱり誰かの役に立ちたいものだと思います。
カウンセラーとしてクライアントさんの人生に深く関わらせていただけることが本当に有難いです。
もっとカウンセリングが一般的になって、悩みを一人で抱え込まずに繊細な感覚を共有できて、深い安心感をみんなが感じられるようになるといいなと思っています。
・自分に自信がない。
・人に気を遣って疲れちゃう。
こういったお話を、カウンセリングではよくご相談いただきます。
複数の人と話をするときに空気を読んで自分の発言に気を遣い、服など身に付けるものは「自分の好きなもの」より「無難なもの」を基準に選び
とにかく目立つこと、平均値からはみ出ることを無意識のうちに避けようとしている人はたくさんいます。
昔に比べると価値観が多様になってきたとはいえ、特定のコミュニティには特定の文化や横並び意識がいまだあるのかもしれませんね。
私自身も、中学生のときに平均からはみ出て仲間外れにあった経験がありますから、それ以来、特に女子の中で目立つことは避けようとしてきました。
注目を感じると周りの視線が気になって、よく思われなかったらどうしようと不安だったんです。
でも、私たちは無難に生きていれば幸せというわけではなく、好きなように自分を表現しそして解放して生きたいと思うものです。
特に自分の気持ちを抑えて周りの人に合わせて過ごしている人は、自分を解放させたい・表現したいという欲求は強くなってくるのではないでしょうか。
「自分らしくありたいけど、自由に振る舞うと自分が平均値からずれて目立ってしまうかもしれない」
そう思うと、嫌われたくないがゆえに、心の中で葛藤が起きますよね。
このように考えるときは「目立つと叩かれる」「目立つとよく思われないかもしれない」という前提があるわけですが、果たして本当にそうなのでしょうか。
確かに、平均的で無難に過ごしていたら嫌われることはあまりないのかもしれません。
自分がはみ出たり目立ってくると、あなたのことを好きな人と嫌いな人に分かれてくるとは思います。
ただ私は、人には「本来あるべきポジション」というのがあると思うんですね。
多くの人は、自分の自己価値を実際よりも低く見積もっています。ものすごく仕事熱心で頑張り屋さんなのに、完璧主義であるがゆえに、自分はまだまだできていないと自信を持てないこともありますし
自分よりも上手くいっている人を見ては比べ、出来ていない自分に落胆し劣等感にさいなまれることもあります。
でも、頑張れることは才能ですし、自分では当たり前過ぎて気づいていないけれども、誰もが得意なことが何かあるんです。
得意なことや才能がないと感じる人はぜひ私に尋ねてみてください。長所を発見する訓練をたくさんしてますから見つけるの上手いんですよ^^
本来あるべきポジションとは、その人のあるべき自己価値にマッチした場所です。そこでは、のびのびとして自分の性質を発揮しありのままの自分でいれる場所なのです。
例えば、仕事もプライベートも比較的順調にいっている人がいて(それでも悩むことはもちろんあると思いますが)
でも周りの人は、仕事がうまくいかないとか人間関係につまづいている人が多かったとしましょう。
そんなとき周りの人に申し訳ないと感じて、周囲に合わせて自分を低く見せようとすると、周りの人は違和感を感じるようになります。
その人がうまくいっていることは、本人が隠そうとしても隠しきれるものではなく、周りの人にはバレています。
なので、どうみてもうまくいってるのに隠して、自分のレベルを落としていることに対して周りの人はイライラするんですよね。さっさと認めなさいよ!と言いたくなるんです。
このような場合、その人が本来あるべきポジションというのは「おかげさまで有難いことに
うまくいってます」ということです。自分を低く見せてはいけないんです。
もっと言うなら、もっともっと簡単にうまくいって希望やビジョンを周りの人に見せてあげられるようになることなのです。
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目立つと叩かれるというような嫉妬というのは、目立ったからという単純な理由ではないんですね。
もちろん嫉妬する側に、劣等感などの心理的な事情があるので、必ずしも防げるものではないのですが
自分が、自分の性質や得意なこと恵まれていること、目立ってしまうことなどをしっかり受け取っているかによって周りに与える印象は大きく変わります。
受け取っていて、本来あるべきポジションにいるときは、違和感がなくフィットしている感覚が生まれますので、それが周囲に伝わって周りの人の感情を逆なでしにくくなるんです。
そうすると、嫉妬する人も嫉妬のしんどさから解放されてお互いが楽になります。
本来あるべきポジションにいることは、自分にとっても周りの人にとってもハッピーなことなんです。
目立つと叩かれるかもしれないという不安もひとつのプロセスです。
目立つことが目的ではなく、自分らしくいようと思ったら結果的に目立っちゃったということでしょうから
そのままプロセスを進めて本来の自己価値を取り戻し、様々な選択を人目を気にせず主体的に決めていくことができたら、それが一番違和感がなく自分も周りもハッピーな状態です。
私も目立つことへの不安を抱えながら、でも自分を解放して生きたいと願いプロセスを進めてきて今に至ります。
今は、昔に比べると随分と人の目が気にならなくなりました。
あからさまに嫌味を言ってくる人もいなくなりましたし、「あなたに嫉妬してるの」と言われることがあってもほとんど気にならないです。
誰もが嫉妬する側にもなるし、される側にもなります。
今、誰かに嫉妬している人も、自分らしくいたいなと思ったときに、「嫌われたらどうしよう」「叩かれたら嫌だな」という壁にぶつかることになりますので、今から対応しておくと罠にハマらずにすみますよ。