エネルギーを注ぐ対象を限定するとよいのは、まず「私」が幸せになることが物事がうまくいく順番だからですよ~。
本日は、最近書いていたブログに対するコメントへのお返事です。毎日たくさんのコメントを頂きまして、本当に有難く感謝の気持ちでいっぱいです。
それぞれのコメントに思うところがあり、お伝えしたいことがあります。今日はその一つを。みなさんのヒントになればと思っています。
今まで「大勢の人に、ひとしくエネルギーを注いでしまっている」状態が多く、全員に何とかして伝える・教える、のような無駄な正義感・エゴ(って呼ぶのでしょうか?)がありました。
今は高見さんのこのブログのお蔭で、選択する自分にOKを出せています。自分が自分を一番大切に扱わずして、どうするんだ!!と。自分の人生のハンドルは常に自分が握っている、と自覚して、自分を楽しませています。素敵なブログのお蔭で、人生が楽に、毎日がすがすがしくなりました(^^)
「エネルギーを注ぐ対象をある程度限定する」ことにOKが出せたようで何よりです。
大勢の人にひとしくエネルギーを注ぐというのも、悪いことではないと思うんですね。それが「やりたい!」と自ら思えているのなら全然OKです。
「大勢の人に等しく力を注がねば!」と思っていると義務感となり「やらねばならない」ことになって、私達を苦しめます。
それが好きなこと、やりたいことであったとしても、義務感が生まれると嫌になってしまうものなんですね。
幸せになるには順番があると思っています。
まずエネルギーを注ぐ対象を限定し、大事なものに力を入れる。大前提として自分をもっとも大切にする。
それができて、もっと何かやりたいと思えるくらい余力が出てきたらエネルギーを注ぐ対象を広げていく。
自分を幸せしてあげることが一番最初だよ、とよく言われますがその通りなんですね。
物事にはうまくいく順番があるようなのです。
もし、力がついてもっと扱える範囲が広がってきたら、大勢の人に等しくエネルギーを注ぐ、という野望を持ってもいいと思うんです。
ただし私の感覚では、その頃にはご自身の好きなこと、やりたいことがもっと明確に出てくるでしょうから、もしかしたら、さらにエネルギーを注ぐ対象が限定されているかもしれませんね。
対象を限定する最初の段階は罪悪感がついてくると思います。私って冷たい人だなぁ。私って悪い奴だなぁ。私ってひどい人だなぁ。
罪悪感のワナにひっかかっていると、なかなか前へ進めなくなるので自分に今できることが何かを知る、ということですね。やれることからコツコツとやる。
いずれにしても、自分を楽しませてあげること、自分の人生は自らがハンドルを握っていることこの原点に帰ることなのかもしれません。
ちなみに、、、
好きなことを自ら望んでやろうとしているときは、「疲れない」ことが多いみたいです。
・「私が」やっている。
・「私だから」できた。
このような、私が、私が!というエゴ(我)の状態から脱出できたときには、自分だけじゃなく、自分以外のもっと大きな力を使うことができるようですよ。