パッと見ではわかりにくい自分のがんばりや、秘めたる思い。そういうものを見つけてくれて肯定してくれる理解者がいたら、すごくうれしいものですよね。
先日ある人と話していたときに「数年前と比べると綾ちゃんすごく良くなったよね。いろいろと見える(気づく)ようになったよね」と声をかけてもらいました。
過去から現在までの変化をこうやってフィードバックしてもらえると「あぁ、そうなんだ、私、良い方に変わってきているのか」と自分でも感じられてとてもうれしかったです。
とくに、人知れず水面下で努力しているようなことを承認してもらえたり、内に秘めた情熱に気づいてもらえたり、よーく見ないと気づかないようなことに、気づいてくれる。そんな良き理解者の人に出会うと本当にうれしくて、救われる感覚がします。
良き理解者が身近に1人でもいてくれると精神的にだいぶちがいますよね。
きっとそうやって気づいてくれる人は、自分も人知れずがんばっていたことがあるのかもしれないし、かつてわかってもらえないことがあって悲しい思いをしたことがあるのかもしれないし、でもその自分の悔しさや悲しさを昇華して、誰かのために使えるなんて素敵だなと思いを馳せました。
私のいいところ見つけてくれてありがとう。わかりにくいところまで気づいてくれてありがとう。ちょっとムズムズ恥ずかしいけどそんな気持ちになりました。
でね。
もしあなたが誰かの良さを見つけて伝えてあげていたり、人知れぬ苦労や頑張りを承認してあげていたら。きっと相手の人はすごくうれしかったと思うんです。
良き理解者の存在は本当に大きな力になる。
あなたは何気なくやってることかもしれないけれど、相手の人にとってはとても大きいことなのかもしれないですよ、ってことです。
そういう意味で、私たちはもっともっと自分の価値を受け取ってもいいのかもしれません。
自分のことを理解し承認してくれる人に対して、私たちは同じようにその人を理解し承認しようと思うもの。
誰かの良き理解者になると自分にも良き理解者が現れます。
まだまだ「自分のあり方」が確立しておらず迷いのあるときは「これでいいのだ!」とは思いづらく、誰かに何かを言われるたびに、自分には何か問題があるのではと揺れることも多いと思います。
でも、思っている以上にもっともっと自分のことを信じてあげてもいいんです。
まわりと比べてどうとかそういうことではなく、自分が感じていることをもっともっと大切にしてもいい。
他の人に対して向ける承認の眼差しを自分にも向けてあげて「私はこれでいいんだ!」って思えるようになっていきたいですね。