高見のエッセイ

子どもの教育に命をかけた先生

2017年5月27日

私には思い出深い先生がいます。

それは、中学校のときに3年間通っていた塾の先生です。

車で10分くらいのマンションが立ち並んだエリアにその塾はありました。

母に連れられて最初に先生に会ったときのことは、今でもよく覚えています。

「人の目をじぃっとよく見るお子さんですね」と先生は言いました。

先生は少し変わった人でした。理想が高く、妥協を許さない人。

販売業務や事業の再建などを経て、いろいろ感じたらしい先生は、当時、教育に注力しようと転身したところのようでした。

「君たちが勉強をしているのは
社会の問題を解決するためなんだ」

これが先生の口癖でした。

学校の科目以外にも時事ネタなど、いろんな話をしてくれました。

しっかり勉強して、様々な問題を解決していく立派な大人になって欲しい。そういう人材を輩出したい。そう思っているようでした。

塾は毎日あって、先生は英語、数学、国語、社会、理科……ひととおりすべてを一人で教えていたんです。

質より量という考え方だったので、講義を受けたあとは生徒たちはひたすら練習問題を解きました。

同じページを5回くらいは解きます。

スパルタといえばスパルタだったのかもしれないけれど、私はそのようには感じていませんでした。というのも、毎日の習慣とか日課みたいになっていたから。

先生は金銭的なことにはあまり興味がないようで、授業料はとても良心的だったと母は言います。

先生は高い理想を子供たちに求めていたので、それについて来れない子達と時々ぶつかっていました。子供の父兄とぶつかることもあったようです。

でもどんな成績の生徒も受け入れていたので、自分の名前が書けない子もいて、それにも丁寧に対応していました。

先生はどれだけの器があったんだろう
と今になって思います。

私も兄も、その塾に通っていたのですが、反復演習のおかげで成績が上がったし、科目の勉強だけではなく、「社会の問題を解決する」という今までになかった視点を得ることができ、間違いなく、私の人生の土台の部分をつくってもらえたと思うので本当に感謝しています。

先生は高い理想を追う一方で、不器用。周りに合わせることができない面も持っていました。

先生は離婚しており重大な病気も患っていたんです。

手術もしていたけれど、体を大切に養生するというタイプではなく、試験前に生徒が勉強したいと言えば夜中になってもとことん相手をしてくれる。そんな側面がありました。

理想の完璧な先生というよりも、人間としてのリアルな姿を見せてもらった気がします。ある意味すごく人間くさい先生でした。

あっけらかんと正直に話す人で、生徒の前で自分を良く見せようなどとは微塵も思っていなかったと思います。

理想を追い求めていた一方で周りから理解されない孤独。
社会に対する憤りと捨てきれない希望。

先生は、とにかく一生懸命に全力で生きていました。

希望を託す先として、子どもに対する教育に命をかけた先生。

私は幸いなことに、先生に目をかけてもらい、とても期待してもらっていました。でも、卒業後の私は、思春期に差し掛って怠け心が出てしまい、先生の期待に応えることはできなかった気がして、今でも胸がチクりと痛みます。

私が社会人になったころ、先生は塾をやめていました。

今はどうしているのかわからないのだけど(先生はそういう連絡をするタイプでもなかった)、どうか今でも先生らしく元気でいてくれたらなと思うのです。

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