高見のエッセイ

お弁当の記憶

2017年5月26日

幼稚園など、幼い頃の記憶は断片的なのですが、特によく覚えているシーンが今回のお話。

私の通っていた幼稚園はいつも給食でした。でも、年に何回かはお弁当の日が設定されていたんです。

その日はお弁当の日。何があったのかは覚えていないけれど、たぶん何かのイベントがあった日なんだと思います。

その日の朝、私は母に車で幼稚園まで送ってもらいました。

車からぴょこっと降りると「じゃあね」と母は車を発進させたのです。

その瞬間、私はお弁当を持たせてもらっていないことに気がつきました。

はっ!!

どうしよう・・・

子供ながらに焦った私は、くるっと振り返って母の乗っている車を必死で探しました。

すると幼稚園に続いている細い路地の向こうに、ゆっくり走っている車があることに気付いたのです。

どうやらその車は、細い路地を出たところにある大通りに出ようとしていたようです。

大通りに出てしまったら車はスピードを上げきっと私は追いつけなくなる。そう感じるやいなや、私の体は咄嗟に走り出していました。

全速力で走りながら、ちらっと顔を上げると、車はちょうど大通りに出ようとして待っているところでした。大通りは車がたくさん走っていてなかなか出れないようです。

私は小さな希望の光を感じました。もしかしたら間に合うかもしれない。

お願い!もうちょっと止まっていて!
そう思いながら、走り続けました。

しかし車は入れそうなスペースがあったようで、左に曲がって大通りに出てしまったのです。

ああっ
もう間に合わないか・・・

先程感じた希望の光は瞬く間に小さくしぼんでいきました。

でも、全速力で走り続けるのはやめず、私はちょうど大通りに差し掛かるところまで来ました。

左側をみると、母の車はなんと赤信号につかまって止まっているではないですか。

あっ
お願い、赤信号のままでいて!

再び希望の光がともり始めたのです。

母がバックミラーを見ていることを知っていたので、私の姿がミラーに映っていることを期待したのですが、ついにミラー越しに母と目が合うことはありませんでした。

幼稚園児の全速力なので間に合うことはなく、信号は青になり母は全く気付かないまま、車は走り去ってしまったのです。

その場で私は呆然と立ち尽くしました。

なんとか母が気づいてくれないかと願っていたものの、それが叶うことはなく、置いて行かれてしまったのが妙に悲しかったです。

そして私はトボトボと幼稚園に戻っていきました。

私だけお弁当がない。

先生にどう言おうか迷いました。

先生は心配してくれたけれど、私はすでに上の空でした。

お昼の時間、家族がつくったお弁当をほおばるクラスの子たちの中で、私はひとり、先生が慌てて買ってきてくれた大人用のお弁当を食べていました。

スーパーかどこかで調達してくれたのでしょうね。ノリ弁か、そんな感じのものでした。

一人だけ違うものを食べていたことが珍しいのか、みんながジロジロ見てきました。

それが、とても居心地が悪くてお弁当の味は全く覚えていません。

先生には感謝すべきところだったなと今なら思うのですが、それよりも、母から気付かれずにおいて行かれたことの方を私は引きずっていました。

大人になって母とこの話をしていたら、こんなことを言っていました。

あのときはねぇ、もうすーーーーっかり忘れてたの! あんたを送り届けたら、お友達の家に行こうってそのことばかり考えていてね。 あんたが走って追いかけてきてたなんて全く気づいてなかったの。 私の若い頃は、ひどかったわね~。何も考えてなかったのよね。 あんたの方が、よほどしっかりしてるわよ。

大人にとってはうっかりな出来事も、子供にとっては一大事、なんてことはあるようです。

カウンセラーという職業上、幼い頃の出来事は、今に大きな影響をもたらしていることを私は知っています。

あのときの自分に「お母さんはあなたを愛してるからね」と言ってあげたいなと思います。

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