高見のエッセイ

人の時間を奪うこと

2016年9月23日

その昔、私の中学の塾の先生はとても教育に熱心な人で、自分に向き合えない生徒に対して「ぼくの時間を奪うな」というようなことを言っていて、私は妙にそれが印象に残っていました。

何に対して言っていたかは覚えていないんですが「時間を奪う」なんて言葉を中学生に言う大人は周りにいなかったので、新鮮だったんですよね。

当時はまぁ、ちょっと大げさな、というか、厳しいなと思わなくもなかったのですけどね。

先生は、子供の教育に自分の命をかけているような人でした。色んな挫折を経験してたどり着いた光が教育だったのかなと思います。

それは、中学生の私にもちゃんと伝わってきたんですよね。この人は命を削って先生をやっているんだなと。

そういう大人に子供の頃に出会えたことは幸運だったと思います。

先生が本気な分だけ、生徒が適当な意識でいると先生はやっぱり気づくんです。

時間を使うことは自分の命を使うことだと。

死を意識しない日常の中でこういうことを言うと、やりずらくなってしまうけれど

でも本来は、大げさな話でもなくて、自分を生きようとしている人や使命をもって仕事をしている人なら、みなそういう感覚は当たり前に持っているのだと思います。

自分の時間を大切にしている人は、ひとの時間を使うことも大切にできる。

時間=命という認識。

誰かとお茶をするのだってメールするのだって、自分の時間を差し出し、相手も時間を差し出している。

時間を奪うって、そんなこと誰もしようとはきっと思っていないと思うんです。でも結果的に奪っているケースはやっぱりあるんですよね。

意識の持ち方なのでしょうが、奪うのではなく、分かち合うことができたらいいですよね。

一緒の時間を使うことがお互いの喜びに繋がればとても素敵なこと。

カウンセリングもお互いの貴重な時間。
大切に大切にしていきたいです^^

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