お客様からよくお伺いする「恵まれていてごめんなさい」というお話を取り上げてみます。
自分がうまくいっているとか他の人よりも恵まれている環境にあったりすることが本当ならば、とってもいいことなんですけど、周りの人に悪いなって思ってしまうケースがあるということなんです。
周りにうまくいっていない人がいると、余計に申し訳ないと思ってしまうことがあるようです。
そして、うまくいってることを素直に喜べず、なんとなく隠そうとしたり、大したことないですよなふりをしてみたり
そうすると、自分がもっとうまくいくことを許せなくなるので、本当に自分が欲しいものは手に入らないという勿体ないことになるんですね。
この感覚の正体は罪悪感なんですが、まぁその言葉自体に意味があるわけではなくて。
私もこの悪いな~という感覚って身に覚えがあるのでわかるんですが、一見すると、周囲の人を気遣う優しい人のようにも感じるのですが
周りの人がうまくいっていないって決めてるのは実は自分だし、自分がうまくいったら、この人たちは良く思わないんじゃないかと疑ってるのも他ならぬ自分自身なんですよね。
私は、その人が幸せか不幸なのかは本人しか決めることができない(つまり周りが判断できることではない)という考え方がとても好きですし
うまくいっていないかどうかも、その時点では通過点なので今後どうなるかはわからないよねーとも思うのです。
みんなによく思われないんじゃないかというのも、もしかしたら本当に良く思わない人もいるかもしれませんが
そうじゃない人がいるとしたら、その人の器を読み違えていますよね。相手からしたら失礼な話でもあったりするんです。
あと、これを言ってしまうと本当に身も蓋もないのですが
周りの人の反応や状況というのは、自分の人生を生きない理由にはならないのだろうな・・・と。
自分の人生を生きたいと思う人はどうあってもそうするし、そうであろうとすると思うので
どんどんうまくいくことを自分に許していないだけで、周りの人を理由に使っているだけだと思ったりします。
あ、やっぱり身も蓋もないですね(;^ω^)
だからといって、スパルタ式に「こういうわけだからそれは言い訳です」って言いたいわけではないんですよ。
私自身もこのパターンにハマるときはあるので、「うまくいくことがただ怖いだけなんだよねぇ~」って言って、そういう自分を受け入れています。
今はうまくいってるけど、そのうちうまくいかなくなるかもしれない、とか
今喜んだら、うまくいかなくなったときにカッコ悪いとか、まぁ残念な心の声がするときもあります(笑)
でもやっぱり今は今。
未来は未来なだけ。
で、ひとしきり、自分を受け入れて落ち着いてきたら、それで私はどうしたいんだろう?って問いかけてみるんです。
そのとき出てきた心の声になるべく忠実に行動したいと思うこの頃です。
私はやはり自分を生きたいと思うので、というかそれだけは決めていますので、めちゃくちゃ些細な日常レベルから行動を変えていくんです。
時には、50%失敗しちゃっても(実際、変えようと思った行動パターンで、先日は4回中2回は失敗してます笑)積み重ねたその先に
「恵まれていてごめんなさい」という発想自体がないような、「恵まれていて本当に有難いんです」と、なってるといいですよね。