「誰ひとりとして同じ人間はいないように、やりたいことや表現したいことがあなたと同じであるひとはいないのだ」
この考え方を知ったとき、私自身とても気が楽になりましたし同時に何か感慨深いものがありました。
例えば「カウンセラーがブログを書く」という行為をとってみても、基本セオリーは一緒なんですよね。
他の人も同じこと書いてるから書くのを止めようとか書かなくてもいいかというと、そういうわけでもなくて。心の法則は同じであっても、そこから派生する表現は人によって全然違います。
たまに、私が書く文章は「高見綾にしか書けない」と言ってもらうことがあって、とても有難いことなんですが、つまりはそういうことだと思うんですね。
みんな誰しも同じことをやりたい人、同じ表現をしたい人はいないので、誰かが先にやってるからといってやらない理由にはならないんです。
絵を描く人であっても、どんな絵を描くのか、絵を通じて何を表現したいのかはあなたにしかないオリジナルのもの。
私もブログ書こうとしていたときは、他の人が書いていることを自分も書くことについてどう捉えたらいいのかわからなくなったことがありました。
でも誰ひとりとして自分と同じ表現をしたい人がいないとわかったらほっと安心しましたし、じゃあ遠慮しなくてもいいんだねと思ったんですね。
誰かを真似してみてもどうしても同じにならない部分が自分のオリジナルだとしたら、最終的に自分以外のものにならないということが大事なんじゃないかと。
自信がなくなったり、自分の不足点を見つけたりすると、どうしても自分じゃない誰かのようにならなければって思いたくなりますが、そこはグッと堪えるところです。
そのままがオリジナルで、かつ誰ひとりとしてあなたとやりたいことが一緒の人がいないんだったら、
自分じゃない者のようになることの方が変ですもんね。
私が私のままでいたらオリジナルなんだ、って気付くことなのでしょうね。