いつも愚痴ばっかり言っていたり大変そうなオーラを放っていたりと、とにかく「この人は幸せなんだ!」と思えないような人。
そういう人が家族にいたり、または友達にいたり、はたまた職場の人であるときに 、無意識のうちに、それはもう自動的に「助けてあげなくちゃ」と思う人がいます。
困っている人を放っておけない優しい人なんですよね。
ところが「私が助けてあげないと」という感覚が役割意識から来ているとちょっと厄介なのです。
最初は純粋な愛の気持ちから来ていることがほとんどなのですが、いつの頃からか「そうしなければならない」に変わってくると、自分自身に大きな負担となってきてしまうんです。
例えば、お母さんを幸せにしてあげないと、と思うと、感覚的には「お母さんの人生を背負う」ことになります。
お母さんの愚痴をいつも聞いてあげる、お母さんが悩んでいるならアドバイスをしてあげる。こうしたら?ああしたらどうかな?といつも気にしている。
でもなかなかお母さんは良くなっているように見えず、相変わらず愚痴が多いという場合、じつはお母さんは「自分はこれでいいと思っている」ということがあります。
愚痴は言いたいだけで、特に何か変わる気があるわけでもなく、現状に満足しているということもあるんです。
もしそうであれば、自分がいっぱい気をもんで一生懸命アドバイスしても、じつは相手は聞いていないということも。
本当に変わる気があるときは、人は「どうしたらいいんだろう?」と真剣に悩み、「どうしたらいいと思う?」と聞いてきます。解決するために何か行動を起こします。
そういった問いかけがなく、大変だと言っているだけのときは、聞いてもらいたいだけだったり、言うことで精神のバランスを取っているという場合が多いです。
もしくは「私は大変なの」と言うことで、人の気持ちを惹くことができると思っている人は、それ以外の手段で人とつながれることを知らないと、大変なことが無くなってしまうと
逆に困る、なんてこともあります。
相手のために良かれと思ってやるのは、時にすごく難しいことだったりします。
関係性がこじれてしまうと、いろいろお世話してあげたと自分が思っていても、相手から
「やってほしいなんて言ってない」「あなたが好きで勝手にやったんでしょ」と言われてしまうこともあります。
相手を助けてあげるときは自分が苦しくならない範囲で、自分のできることをするのが大切です。
役割意識が強いと「やらなければならない」感覚になりますので、どうしても無理をしがちです。
続けていくと自分がしんどくなってきたり、いつも心のどこかにその人のことがあって気持ちがどんより重くなるなど負担が増えていきます。
そんなときは背負いすぎているよのサイン。
助けてあげたいと思う人は、その優しい気持ちをなくさないためにも、できる範囲で、できることをして相手の人生を背負いすぎないこと。自分は自分の人生を大切にすること。
バランスを取っていきましょうね。