高見のエッセイ

88歳でも、年下のおばあちゃん相手にボランティアをする

2018年1月31日

88歳になっても、年下のおばあちゃん相手に、車イスを押したり買い物に連れて行ったりというボランティア活動(今後もずっとやり続けるそうです)をしている人がいます。

私の父方の祖母です。

おばあちゃん・おじいちゃんと言えば、ちびまる子ちゃんに出てくるような、ほんわかした祖父母をイメージしていたんですが

私のおばあちゃんは全然そういう感じではなく、むしろ礼儀に厳しくて怖いタイプでした。

88歳にしては見た目も若いし賢くて考え方もかなり進歩的。iPadも使っている。

神様が好きで、家に帰ると、神様にまつわる不思議な出来事を色々話してくれます。ちんぷんかんぷんなことも多いです笑。

私が心理カウンセラーの仕事をするようになってからでしょうかね。おばあちゃんの凄さを実感するようになったのは。

見ていると、やたらと人に与えているんです。ボランティアやったり、人の話聞いたり、人のお世話をしたり・・・。

与えることが好きで、逆に、人から何かをしてもらうことは好きじゃない。

なぜそこまでせっせと与えるのか、その原点は「私の命は、もらった命だから」だそう。

戦争があった時に不思議体験があったらしく・・・なんでも「守ってやる」とお告げがあったとか。

空襲があっても助かって、しかも、おばあちゃんが逃げた道には危険なものが何もなかったそうです。道を一本隔てた先は大変な惨状だったそう。

そんな体験から本当は死んでたかもしれないのに助けてもらったから、ということで、せっせと人の役に立つことをやっているそうです。

そんなおばあちゃんは今でも、何かに守られていると思います。だって、バイクに乗って何回も転んでも、大した怪我したことないですものね。

お世話になっているカウンセラーの先輩で「貢献」という言葉をよく使う人がいます。「貢献」の意識が大事だよ、と。

心理学(カウンセリング)に助けてもらっているうちは、まだまだだよ。心理学(カウンセリング)に貢献できるようになってからが本物だよね。

そんな感じでしょうか。

ちなみに私の名前「高見」は、「こうけん」とも読める(!)

孫の私にも、何かおばあちゃん的要素が受け継がれているのでしょうか。

まだまだわからないこと、知らないこともいっぱいあるけれど、私は私の出来ることで目の前にいる人の役に立とう。そう思いました。

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