愚痴や文句を言う人が近くにいると、無性にイライラしてしまうのはなぜか、というお話をしたいと思います。
相手が口を開けばいつも愚痴ばかり…みたいな状況では、それを聞いている側としては、あまり気分の良いものではないですよね。
我慢して聞いていたら、だんだんうっぷんが溜まってきて、「もう、いい加減にしてよ!」と思ってしまっても不思議ではないと思います。
愚痴を言ってる人と自分の関係性や、どういった内容の愚痴なのかによっても心証は変わってくると思うので、一概にこうと言えるわけではありませんが
豆知識として、自分が禁止していることを堂々とやってのけている相手を見ると、人は怒りを感じる、という心理パターンがあります。
例えば、親が忙しくて十分に甘えることができない環境に育ち、何でも自分でやってきたタイプの人が、「ねぇ~あれ買ってよ~」と母親に駄々をこねて甘える子を見たら、羨ましい反面なんだかイラっとしてしまうとか、そういうことですね。
”私だって甘えたかったのにできなかった。だから我慢してきた。なのに、あなたは何よ!”みたいな心理になるわけです。
文句を言いたくなるようなことがあってもぐっと堪えて、健気に努力してきたようなタイプの人は、自分が禁止している愚痴や文句を平然と言う相手に怒りを感じることが多いです。
表面的には、”良い大人が愚痴ってばかりなのはみっともない”みたいな、いかにも正論というような感覚になるかもしれないですが、本音のところでは実はちょっとちがいます。
もちろん、大人なので軽々しく愚痴を言うことはしなくとも、心の中では多少なりとも文句を言いたくなるようなことはみんなありますよね?
文句が多いということは、自分以外のものに責任を求めているということなので、自立か依存かと言われると、「依存」側になります。
なんでも自分で頑張ってきた「自立」タイプの人は、パッと見、成熟した振る舞いをしますが、心の中では、今まで抑えてきた依存心を持っていることが多いのですね。
これは何も不思議なことではなく、みんな、依存心は持っているのです。
でもその依存心を上手に受け入れて、満たしてあげられるかどうか、なのですよね。
自分にも、その愚痴を言う相手のように、依存心があることを認めて受け入れられてしまえば、感覚はだいぶ変わってきます。
もちろん、愚痴の多い人を好きになることはないかもしれませんが、「まぁ言いたくなる気持ちもわかる」とか、「あの人、また言ってるわ~」くらいに、少し距離を置いて放っておけると言いましょうか、気になる度合いが減るはずなのですね。
誰かが無性に嫌いと感じる時、その誰かの中にある嫌いな要素は、実は自分も持っていたりするんですよね。。表面には出てきていないだけで。
認めるのは嫌なことかもしれませんが、そういった要素が自分にもあることを受け入れることができると、肩の力が抜け、人間関係での許容範囲が広くなるんですよね。
いろいろな自分の要素を受け入れていくことが、成熟さにつながっているのかもしれませんね。
私も昔は、愚痴を聞くこと自体がすごく嫌だなと思っていたことがあります。
でも、静かになって心に手を当ててみると、自分の中にも口には出していない文句がたくさんあったんですよね。
感情は抑え込むと、心の中に蓄積したまま消えていきません。何年経ってもくすぶり続けます。
ちょっとの刺激で大爆発、なんてことがあるのはこのためです。
であれば、感情は小出しにして、その都度きちんと消化していくことが大切。
私も自分の中にあった文句や様々なネガティブな感情に光を当てるようにしていった結果、どんどん解放されて、溜まらなくなっていきました。
結果として、以前に比べると許容範囲が広がり、性格もマイルドになったな~と思います。
このあたりのプロセスを、全部お一人でやろうとするとつらいこともありますので、その時はぜひ相談してくださいね。
大人の質上げ女子のみなさんにとっては、自己理解を深めていくことも大切な要素だと思いますから。