昨日に引き続き11日のスペシャルワークショップのフォロー記事です。
「望む人生を送ると決められないとき」についてのお話です。
決めるというのは「覚悟」がいりますよと昨日書いたように、それなりの重みがあるのですね。
決めればいいだけとわかっていても決めきれなかったり、そこまでの心の状態になれなかったことが私にもあります。
そんなとき、自分のことを情けなく感じたり、どうして自分は決められないのかなと残念に思うこともありますよね。
決めきれない理由はその時その人によっていろいろとあるのでしょうが、欲しいものを考えたとき、それを手に入れた自分と今の自分の状態があまりにも差がありすぎると
そもそもイメージできないし、ハードルが高く感じるというのはあるんじゃないかなと思うのですね。
例えば親が会社員でそのまた親も会社員だと、子供としては会社員になることについてはイメージができますよね? きっと会社員になるって普通のことでハードルは低いはずです。
でも自営業になったりフリーランスとして独立したりアーティストになることは、あまりイメージができないのではないでしょうか。
大好きな人と結婚して幸せになってお金も精神的にも豊かになりたい!と思っていたとしても、その人の周りに、ビジョンを体現したような人が全然いなかったら、これもまたイメージがしにくいですよね。
望むものと現状の自分または自分の周囲にあるものの間に落差があるときは、決めよう!と思っても、望みを叶えた状態が一体どういう状態なのかが「わからない」ことが足を引っ張っていることもあります。
ギャップを埋めていく必要はありますよね。私もできそうだなと思えないと一歩を踏み出せないことが多いです。
その慎重さがいい場合もあるし、思い切りが足りない場合もあるわけですが・・。
「決めれない」ことは、「決める」までに何らかの心の葛藤があることを示しています。その葛藤を丁寧に紐解いていってブロックとなるものを取り除いていくプロセスがいります。
ただしイメージの落差があるときは、ビジョンとなるものを周りに集める作業はいりますよね。
会社員の人がフリーになりたいときは、フリーで活躍している人と知り合いになったり、モデルケースを探していくとかですね。
それをしてみようと思えるかどうかは最終的には意欲なんだろうなと思いますね。