心理学を学んでいたときに、あるセミナーで聞いた講師のお話がとても印象的だったんですね。
それは何かというと「あなたは今までたくさん傷ついてきたかもしれません。あなたを傷つけた人は何人いるでしょう?」
えーと
あの子と、この人と、それから・・・
「では、もうひとつ質問です。あなたは今まで何人の人を傷つけてきましたか?」
!?
え、えーと、1人、2人、3人、いやもっといるか?・・・
このとき講師は「何人でもいいんですよ。でも私を傷つけてきた人が50人で、私が傷つけた人が10人っていうのはありえないわけです。」みたいな話をしていました。
自分が傷ついたときって、確かにそっちのことの方ばかりを考えるものですが、自分がやっちゃったことに対しては案外無自覚なことがあるのかもしれないな、と感じたのです。
たとえば、目の前の相手を信用しないことによって傷つけているかもしれないし、愛さないことによって傷つけたことがあるのかもしれません。
事の本質は、どちらもバランスよく見ていくという話だと思うんですね。
誰かのことに腹を立てているとき、その誰かも自分に腹を立てているかもしれない、という可能性はありますよね。
特にパートナーシップではお互いが鏡なので、妻(彼女)が不満をもっているときは、夫(彼)も何かしら不満をもっていることが多い、といわれています。
だから一方が自分の不満をわかってほしくて言うと、「わかった、ごめん」という欲しい反応ではなくて、相手からも不満を漏らされるという予想外のことが起きたりするわけですね。
でもそれでは納得がいかないこともあるし、自分は正しいのにって感じることもあるものですが
たとえば後輩に腹が立ったとして、でもじつは自分も後輩の立場だったときに先輩を怒らせていたかもしれなくて
言われてないからわからないけど、もしかしたら怒らせていたけど、まあまだこれから成長してくれればいいやとゆるして温かく見守っていてもらったのかもしれません。
もしそうであるのなら、自分も後輩をゆるして温かく見守ろうという気になるかもしれませんよね。
そうやって両面から見れると、気持ちが穏やかになって、結果として関係性はうまくいくような気がしています。
「ゆるし」って心理学に携わるまでその概念自体を私は知りませんでしたが、ゆるすことは、相手のためというよりも自分のためであるんですよね。
許せないことがたくさんあると、どうしても自分の言動を窮屈に縛ってしまいます。
たとえば、お母さんがいい加減で許せないと思っていたら、あんなふうな人にはならない!ってなりますよね。
でもそうすると、お母さんに似た要素のある人を見つけるたびに、許せない人が増えていくし、自分がちょっとでもいい加減なことをしてしまうと、自分をひどく責めることになりがちです。
好きになる必要はないけれど、最終的にはあらゆるものを包み込んでゆるせるようになると自分の心の自由というのは大きく広がっていくのかもなと感じています。