今日は、身近な人から足を引っ張られるケースについて考えてみたいと思います。
例えばこんなケースを取り上げてみましょう。
私は元々面倒見が良いタイプで、友達の悩みを聞くなど日頃からよくサポートをしています。その友達とは、お互いにある面においては尊敬し認め合っている仲なんです。でも、私に良いことがあったり注目を集めたり抜け出たりしようとすると、なぜか足を引っ張られるんです。友達は言葉ではっきり言わないのですが、なんとなく雰囲気や態度からそう感じてしまうんですよね。
友達など身近な人から嫉妬を感じてしまうと、距離が近いだけになんとも複雑な気持ちになってしまいますね。
身近な人の幸せや成功を、素直におめでとうと言えるにはある程度の成熟さが必要になります。
もし喜べないとすれば、お友達の中には「自分だけが取り残されてしまった」という焦りや、「自分は劣っている」という劣等感や敗北感、惨めさを感じているのかもしれません。
お友達が言葉ではっきりと言わないのは、「友達だから素直に喜んであげたい。でもそれができなくて苦しい」という葛藤があるからかもしれません。
そんなお友達の心中を思いやって理解してあげるだけでも、あなたの心の中にあるもやもやは軽くなるのではないでしょうか。
お友達は少し自信を無くしているかもしれませんが、お友達にもすごい部分はありますよね。尊敬しているところについて、本人に積極的に伝えてあげたいものです。
一目置いているあなたから認めてもらえたら嬉しいですし、自尊心が芽生えます。彼女にも素晴らしい力があることを言葉にして信頼してあげたいですね。
また、投影の観点からアプローチするのも良いかもしれません。
面倒見が良い人は、「自分も面倒を見てもらいたい」と思っていたりするので、自分がやってもらって嬉しいことは、人にもやってあげようとします。
でも、もし面倒を見過ぎていたとしたら、依存心の強いお友達が周りに集まってくる傾向があります。
面倒をみてもらいたいと思っていたお友達からしてみたら、あなたの成功は、自分が置いてけぼりにされて面倒をみて貰えなくなるのではないかという強い不安に結びつきます。
もしお友達の依存心がそれほど強くない場合は、不安になる度合いも低いと思うんですね。
依存心の強い人が周りに集まってくるには理由があります。依存心の強い人たちは、優れた嗅覚で自分を依存させてくれそうな人を選んでいます。
ですから、自分にそうした隙がなかったか、また自分にもお友達と同じように依存したいという隠れた欲求がなかったかを振り返ってみるといいかもしれません。
依存心は悪いものではありませんが(みんな持っていますしね)、誰かに対して一極集中してしまうと様々な問題につながります。
「自分が面倒を見てもらいたいから、相手の面倒も見る」というスタイルでやっていたとしたら、依存心をできるだけ隠さずに認めてしまうとよいですね。欲求は受け入れると落ち着いてきますから。
でもそんな欲求はなかったことにしてしまうと、抑圧された分だけ隠れた依存心が強くなってしまいます(表面的には依存心がなくなったように見えますけどね)。
こんなふうにお友達との関係性をもう一度見直す機会にしてみてはいかがでしょうか。