自分が当たり前にやっていることに、どれほどの価値があるのか自覚することって、案外難しいのだなと思う出来事がありました。
彼に愛されるためには何かをしなければならないと思ってしまう人もいると思いますが
うまくいっている関係性では「与える」と「受け取る」の循環がとてもかるく行われているんです。
あまりにもさらっとしていて、与えている意識もなければ受け取っている意識もないくらい。
でも確実に、一方通行じゃなくて対等の関係で、自分も彼に何かしているんだろうし、彼からも貰っているなとわかるんです。
例えば、ただ彼の話をうんうんと聞いてあげていたとき。
自分からすると、そんなことは当たり前。でももし先入観なしに聞いていたとか、肯定も否定もせず聞いていた場合、実はそれがすごいことだったりもする。
もし彼が、親とか今まで出会った人があれこれ口を挟むうるさい人ばっかりだったとしたら。否定してきたり決めつけてくる人が多かったとしたら。
純粋に自分の話を聞いてくれることがどれほど嬉しいかわかりませんよね。
「自分が受け入れてもらえている」「理解されている」「味方がいる」という感覚が、彼に大きな安心感をもたらすことになっていても不思議ではありません。
自分としてはごく当たり前のことをしていたんだけど、予想外に彼が喜んでくれた。
そんなとき、あなたは彼の喜びをしっかりと受け取れていますか?「いやいや大したことしてません」みたいな感覚が生まれているとしたらちょっと勿体ない。
そこでちゃんと自覚して受け取れるようになると、もっとたくさんの喜びを彼から受け取れるようになるんですよね。
「何か役に立たなくちゃ!」って気負わずとも、私って普通にしていても役に立っているんだ、と自己価値がUPします。
「受け取る」よりも「与える」ことの方が尊いような気がしちゃいますけど、実はコインの表と裏のようなもの。
私自身は今まで、人から貰ってばっかりであげれていないというセルフイメージが強かったんですが、どうやらそういうことじゃなくて、「貰ってるということは、既にあげている」のだと分かりました。
彼からの喜びを「受け取る」ことが、彼に対して「与える」ことに繋がります。
たくさん与えるためには、たくさん受け取らないとできないのです。
「受け取り拒否」をしていると、与えられないので循環がうまく回らないんです。
「いつも私がやってばっかり!」という感覚になったり、「頑張りすぎて疲れたな」と思ったり「もう私にはあげるものがない」と思ったりします。
もし受け取れていないなと思うなら、それはなぜでしょうか?受け取ったら何か不都合なことがあると思っているかもしれませんよ。