人間関係のこととか、生きづらくなるひとつの要因として「こうであるべき」という自分なりのルールの使い方があるように思います。
私のところに来てくださるクライアントさんは、みなさんとーっても素敵な人でそれが私の自慢♡なのですが、美意識や正義感など自分なりの判断基準を持っている人が多いような気がしています。
美意識って自分なりのこだわりの部分ですね。そういうのは素敵だしとって大切なもの。だからぜひぜひ大事に貫いていただきたいなと思っています。
でも自分の美意識や正義感に反することをまわりの人がやってしまうことってありますよね。
陰口や愚痴は言うものではないと思っている人が、そのルールに反している人をみるとイライラするでしょうし
ずるい人はありえないと思っている人が、誰かを出し抜こうとしている人をみると、表面的には笑顔で対応できても、内心はぁっ?(ノ`Д´)ノと怒りがわくこともあるでしょう。
心理学では、自分が禁止していることをやっている人をみると怒りが沸くという話がありますが(本当はワガママいいたいのに我慢していると、思う通りにふるまう人を見て嫌な気分になるとか)
今日の話のように、自分なりのこだわりから生まれている禁止事項は、やりたいのにやれていないことではなく自ら望んでやらないようにしていることだったりします。
望んでそうしている場合は、美意識や正義感そのものをどうこう変える必要はないかなと私は思っています。むしろ大切にしてもらいたいです。
それより美意識や正義感にくっついている強制力や攻撃性の方をすこしゆるめてあげると人間関係はスムーズにいきやすいのです。
こういうのはありえないわーと思った事柄があったとして、私はそういう生き方はしないしやりたいと思わないけど、あなたがやる分にはお好きにどうぞ。みたいな感覚に持って行けると、かなり楽になるはずです。
自分とは考え方が違うけど相手の生き方も尊重するという感じです。
でも相手に対して攻撃性が出たり相手を変えたいという強制力が発動すると、ちょっとややこしくなります。
とくに自分の中に美意識や正義感にまつわる痛みがあると、攻撃性や強制力が出やすくなります。
そうすると何より自分が苦しくなるし人間不信にもなるし相手にも伝わるので、関係も悪くなりやすいしで負のループにハマってしまいます。
人よりこだわりが強いとまわりとぶつかることも増え、こだわりが良くないのかなと思ってしまいがちですが…
実際のところ、問題は「こだわり」ではないというのが私が今思っているところです。
イライラしたり許せないみたいな気持ちになるのは、自分の中の痛みが反応しているからなんです。
その反応を少しずつやわらげていくことで、相手も私も尊重できる自分につながっていくのでしょう。
痛みをやわらげるお手伝いさせてくださいね。あなたの「こだわり」を応援しています。