つながる・コミュニケーション

この世界に愛するものが多ければ多いほど、幸せを感じる

2019年6月25日

愛することと愛されることとどっちが幸せ?なんていう問いかけはナンセンスというか、どちらも表裏一体。

愛を受け取り、そして愛を与える循環なんですよね。

ただ、この世界に自分が愛するものがたくさんあればあるほど幸福度は間違いなくUPします。それは人でも、仕事でも、物でも趣味でも何でも。

その好きなものに自分のエネルギーを注ぐことができたら幸せですよね。

クライアントさんも読者の方も、愛するのは得意な人が多いかなという気がしますが、どちらかというと「私なんかが好きになっていいのかな」「私が愛しても迷惑じゃない?」という遠慮の感覚の方が強いかもしれません。

そういう感覚は無価値感からきているものです。

あなたに価値を見ている相手からすると「私なんかが」と言われると、とても残念な気分になってしまうので

男性が愛してやまない女性になる」というWSのテーマの元では、自分の価値を過小評価せずに「私だからこそ」と思えるように超えていってほしいなと思います。

むかし、あるときに、「愛されるのもいいけど愛する方が幸せなんじゃないの?」と思ってから、ずっと好きでいられそうな人を相手に選ぶようになりました。

そうやって選んだ人であっても、長く一緒にいるといろいろなことが当たり前になってきて、本当に大切なことが見えなくなってきたりしてしまうんですよね。

出会ったときのラブラブモードがずっと続くことはなくて、どんなに好きで一緒になった人でも関係性は必ず変化していきます。

喧嘩したりとか、倦怠期に入ったりとか、まぁいろいろありますよね。

ただ、変化というのは悪いものではなく、ふたりの間の新鮮さを保つ役割も果たしてくれるんです。

将来、自分が相手のことを好きじゃなくなっちゃったらどうしようとか、相手に飽きられちゃったらどうしようとか、もし不安があるのなら、むしろ積極的に変化していく方がいいかなって思います。

せっかく好きになってカップルになっても、何もしないままだとじわじわと停滞していってしまうので、努力して無理に好きになるというのは、なんだか変な話なのですが

でも、好きになるのにはその相手を知ろうとする気持ちがまずいるので、それを努力と言う言葉で表現するのなら、好きになる努力は必要だなと思うのです。

ほら、「愛する」って動詞ですし、愛そうとする姿勢こそが、この世界に愛するものを増やすことにつながり、結果的に自分の中の幸福度をUPさせるのかもしれませんね。

愛そうとするとき、「私なんかの愛でいいのかな」という遠慮は必要ありません。

あなたからの愛を待っている人がいます。あなただからこそ、いいんですよ。

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